千曲川  津村信夫

 

その橋は、まこと、ながかりきと、
旅終りては、人にも告げむ、

雨ながら我が見しものは、
戸倉の燈〔ひ〕か、上山田の温泉〔いでゆ〕か、

若き日よ、橋を渡りて、
千曲川、汝〔な〕が水は冷たからむと、
忘れるべきは、すべて忘れはてにき。

 

 津村信夫(1909/明治42年—1944/昭和18年)の詩といえば、よく「小扇」が取り上げられるが、僕の場合は「千曲川」がまず思い起こされる。それは、僕も見た「戸倉の燈か、上山田の温泉か、」が忘れがたく残っているからだろう。信夫は学生時代からよく信濃・追分を旅したようだが、室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』には、その頃の信夫が書かれている。犀星の、人を見る眼は鋭く、深い。『愛する神の歌』が自費出版されたのは1935年。「千曲川」が書かれたのはその前年、信夫は25歳だった。犀星は、「彼(註・信夫)は笑うことが生きている真中にいる人のように、よく愉しく笑う男であった」と書いているが、「その橋」を渡る時、信夫の胸を去来したものはなんであったろう……などと考えながら、また「戸倉の燈」を見に行きたくなる。(09.11.23 文責・岡田)